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1.相対性理論に対する社会の疑問と私のコメント
相対性理論に対する社会の関心度はインターネットへの投稿数や書店に並ぶ本の数によっても知る事が出来ます。
ヤフージャパンの掲示板を科学―物理と開いていくと物理学の色々なトピックに対しての投稿数の一覧が出てきます。
2004年2月17日時点で話題の種類は46件、
投稿数の総数は約63,500件でした。
相対論に関する全投稿数は約43,100件で全体の約67.8 %に及び詳細は次の通りでした。
「相対論は間違っている」・・・・・・・・・・・・投稿数は約36,000件
「どこえ消えたか相対論」・・・・・・・・・・・・投稿数は約3,900件
「相対論何でもトピック」・・・・・・・・・・・・投稿数は約2,100件
ローレンツ変換での云々・・・・・・・・・・・・・投稿数は約490件
「相対性理論は絶対に正しい」・・・・・・・・・・投稿数は約370件
相対性理論が完全に崩壊してしまいました・・・・・投稿数は約340件
その他2件・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・投稿数は約60件
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となっていて投稿数の多さに驚かされました。(但しこれは投稿者数では無く延べ人数です。1人で非常に多数の投稿をしている人達も多い様です。投稿を読んでいる人達の数も不明です。)
しかしそれらのトピックやトピックに対する投稿内容は冷静なものもありましたが、多くはお互いの勢いが飛び交うかなり激しい内容の賛否両論の応酬や冗談の混じったものや落書き的なものでした。
私にはこれらは相対性理論の不合理な理論に対する一般の人達の憤りと拒否反応の表れであろうと感じられ、大衆の中で良識はちゃんと生きていると感じるのでありました。
一方、近年出版された相対性理論に対する反論書に付いて調べてみますと、ここ11年程の間に約4〜5種類程度が出版されています。(但し同一著者による内容の類似した複数の本は一種類と数える。)多い時は3〜4種類程度書店に並んでいる時も有りましたが、最近は書店からすっかり消えてしまいました。
以前それらの反論書にざっと目を通してみた事がありますが、相対論関連の部分的な内容(主としてマイケルソン・モーレーの実験や、時間や空間の伸び縮みに関したものが多く、その他に幾つかの事柄が簡単に取り上げてある。)に対する検証や反論がほとんどで、もっと根本的な内容や、全般的な内容に渡って検証しているものは見当たりませんでした。
インターネットへの投稿にしろ、何種類かの反論書とそれへの応酬にしろ、根本的な誤りを理解していないままの賛否両論の応酬ではお互いに相手を説得する事は多分難しいだろうと予想されるのです。
相対論とその周辺には何重もの根本的な誤りとその他の無数の中小の誤りが有るのですがここではその中の根本的な誤りを四つだけ取り上げてみましょう。
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一つ目は合理的に考えるなら元々存在しないと考えるべき絶対静止エーテルを実験によって検出しようとして、当然の事ながら全て失敗してしまった過去の経緯です。
そこでアインシュタインは話の辻褄を合わせる為に不合理な相対論を考え付いたのですが、これは最初から時代遅れの誤った考えだったと私は考えます。
二つ目は当時知られている限りの電磁現象が力学的理論構成に沿って電気理論として組み立てられていましたが、アインシュタインもこれに習って運動物体の電磁現象を力学的理論構成に沿って考えようとした点であります。
しかしその電磁理論にも根本的な誤りが含まれていた為に説明がおかしくなり話の辻褄を合わせる為に相対論を考え付いたのです。これは100年前なら仕方無いとしても現在では時代遅れである事が容易に判断出来る事なのです。
三つ目は相対的な時間や空間の長さを観測するのに光を信号として利用しょうとした点です。 これは光の原理や実体が未だ不明で、本当はどう伝わっていくかも解らないまま、光を波としてではなく粒子として扱い、思考実験の観測手段として利用し物理理論を構築しようとした事に無理があると云う事で、科学的な考えとはとても云えないものだと私は考えます。
四つ目は物理学と数学とを混同してしまっている事です。 現在もなお多くの相対論者が間違った相対論に対し数学的手段で間違いに更に磨きをかけているのです。
物理学と数学は全く別物なのですが、物理学の説明に用いられている数式を見て物理学と数学は同じ様なものだと感違いしている人が数多く見受けられます。
物理学にとって数学とは物理的情況を表現する文章代わりの一連の記号であったり、計算の一手段であったりするに過ぎません。
又、ある物理の計算が出来たからといって、物理原理を基にした理論まで解明出来ているとは限りません。
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逆に云うと物理の原理は解らなくても観測によって限られた情況や法則性だけ解れば、それに当てはまる計算式を適当に工夫してそこだけの計算は出来ると云う事で、これをもってこの部分の物理理論を完全に理解した様に錯覚する事も、あたかも数式が物理原理の代わりを果たすかの様に扱う事も、物理原理まで解明される様に考える事も、物理と数学は同じと判断する事も正しくないのです。
ここでは法則性を見出したと云うだけで、何故そうなるかの理論まで解明した訳では無いのです。
又、数式は文章以上に情況を表現する事もできません。 物理学と数学の違いは、物理で使う数式には始めから物理的意味が付加されており、純粋な数学的数式にはそれが無いという事です。 従って全く同じ数式や公式でも付加する内容によっては全く異なる意味になってしまうのです。
物理的意味付けの無い数式を幾ら進展させていってもそれは物理学とは無関係で物理学的には無意味な事なのです。 物理学は現実の自然現象のみを対象としているのに対して、数学では実数も虚数も数式も無制限に作り出す事が出来るので、現実には無い虚構の世界をいとも簡単に創作する事が出来、虚構の物理学が誕生してしまうのです。
これらをキチンと判断出来るかどうかは物理的センスの問題であろうと私は感じますが、正常なセンスを持っている少数の人達は相対論では物理学的には意味の無い数式が一人歩きしていると考えているようです。
次にインターネット上では反相対論が大きな勢いを有しているように見えるのに対して書籍の種類では全く逆と云う大きな違いをどう解釈すれば良いかを分析してみましょう。
一見すると情況が矛盾しているかの様に見えますが、この事は次の様に分析する事が出来ます。
相対論に関心のある初心者は先ず相対論の解説書を読むであろうと考えられます。 しかし良く解らなかった場合や疑問を持った場合は更に他の相対論書を次々に読んだりする事でしょう。
こうやって相対論書の需要は膨らんでいくと云う予想が成り立ちます。 相対論の解説書が数多く出回っているとは云っても読者全てが賛同者という訳ではなく、多くの人達がその理論に疑いをもっていると云う事なのでありましょう。
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かく云う私も相対論者の言い分を徹底的に研究し尽くす為に非常に多くの解説書を読みましたが相対論の賛同者ではありませんし、逆に各種反論書には簡単にしか目を通しませんでした。
書店から反対論の書籍が消えたという事は、一時期多くの人達の関心を集めたものの、もっともな内容ではあるが、他の人も気が付く様な内容や、説得力不足と感じる内容、疑問を感じる様な内容が混在し、相対論に疑問を抱いている人達をそれほど満足させる事が出来なかったからではなかろうかと考えられます。
物理学の理論では、全ての事柄に辻褄が合わなければその理論はどこかが間違っていると云う事になります。言い換えると一箇所でも辻褄の合わない所が有ったら、その理論はその部分だけ、あるいは全体的に間違っているという事です。
従って、例え既存の反論書の様な部分的な検証であっても該当する理論全体の基盤を崩す事の出来る内容のものであれば、その崩れた基盤の上に建っていた理論体系はおのずと全て崩壊せざるを得ないと云う事になります。
私には合理的に判断すると既存の反論書も基盤を崩す事の出来る内容を幾つか持っていると考えられます。
しかしながら相対論者とはそういう事も分からない人達なのでしょうか? (基盤が崩れたらその上に乗っている理論も崩れると云う事が解らないと云う事です。)
相対性理論は不思議と未だ健在なのであります。 この事は物理学者全体の不甲斐なさを示していると云う事も出来ましょう。
相対性理論は自然の法則を合理的に推理する事の出来なかったアインシュタインが哲学的手法を用いて考え付いた思想でありますが、この様なものは物理学でも無ければ真っ当な哲学でもないと私は考えます。
相対性理論を良く調べてみると展開する説明には自然哲学に絶対必要な論理性が欠けているのであります。 分かり易く云うといい加減だと云う事であります。 更に驚くべき事にアインシュタインはハイゼンベルグに対し自分が述べた相対性理論を本当の事と信じてはならないと話したに等しい発言をしているのであります。
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この様な事柄から相対性理論を物理学であると考える事はそもそも初めから間違いであると私には考えられるのです。
詳細はこのホームページではなく私の反論書にて行います。近く出版の予定ですご期待下さい。 私の意見が正しいと思うか、間違っていると思うかは貴方のセンスと実力次第です。
追加
相対論を支持する人の中に
(1)相対性理論自体にある考えは、今日の物理学の考えからすれば古い事を感じている。
(2)しかし現代の諸実験によりその決定的矛盾点が指摘されていないのは何故か?
と云う考えが有るようです。 しかし、(1)の考えは(2)の判断に対して疑問を示している事になると云う事が出来ると考えられます。
相対性理論の考えが今日の物理学からすれば古いと感じながら、それでも現代の諸実験によりその決定的矛盾点が指摘されていないと感じるのは、どこかの判断に未熟な所があるか、どこかが間違っているからだと判断するのが合理的と考えます。
私は現代の諸実験によりと云う漠然とした考え方ではなく、どういう自然現象あるいはどういう実験に対しどのような判断をしたかをはっきり調べて、限られた視野によってではなく他の判断理由は考えられないかを充分に検討する事が必要だと考えます。辻褄が合わなければどこかが間違っているわけですから。
志を同じくする 反相対性理論のサイト紹介
(注記.私自身上記サイトについては内容をよく把握していません。)